「先生、ハイドロリリースはできますか?」
ここ1、2年で、診察室でこう聞かれることが目に見えて増えました。テレビや雑誌、SNSで取り上げられる機会が増えたためだと思います。肩こりや首の痛みで長く悩んでいる方にとって、「注射で楽になるかもしれない」という話は魅力的に聞こえるはずです。当院でもハイドロリリースは行っています。ただ、私はこの治療を誰にでもお勧めしているわけではありません。今日は、この治療について私が患者さんにお話ししている内容を、できるだけ正直に書いてみようと思います。

ハイドロリリースとは

ハイドロリリースは、超音波(エコー)の画像で筋肉や筋膜、神経の位置を確認しながら、生理食塩水(体液とほぼ同じ濃さの食塩水)などを、筋膜と筋膜のあいだや、神経のまわりの組織のすきまに注入する治療です。薬の力で痛みを抑えるというより、液体を入れて組織のあいだにすきまをつくる、という発想の治療で、海外では「筋膜間注射(interfascial injection)」や「ハイドロダイセクション(hydrodissection)」といった名前で研究されています。日本では「筋膜リリース注射」と呼ばれることもあります。

使うのは生理食塩水が中心で、当院では少量の局所麻酔薬を混ぜることもあります。エコーで針先を見ながら行うため、目的の場所に正確に液体を届けられる点が、手の感触だけを頼りに行う従来の注射との大きな違いです。

「筋膜を剥がす」という説明は正しいのか

ハイドロリリースの説明でよく使われるのが、「癒着した筋膜を液体で剥がす」という言葉です。イメージとしては分かりやすいのですが、実際に体の中で起きていることは、それほど単純ではないと私は考えています。

たしかに、ご遺体を用いた研究では、筋膜のあいだに液体を注入すると、組織どうしの滑りの抵抗がわずかに下がることが示されています。しかし、生きている人の肩こりで筋膜が本当に「癒着」しているのか、注射でそれが「剥がれた」から痛みが取れたのか、というところまでは証明されていません。液体で組織を押し広げる物理的な効果のほかに、筋膜に多く分布する痛みの神経への作用、生理食塩水そのものの作用、そして「エコーで自分の体の中を見ながら治療を受ける」という体験がもたらす心理的な効果まで、いくつもの要素が重なっていると考えるほうが自然です。作用のしくみは、まだ研究の途中にあります。

実際に効果はあるのか ― 現在のエビデンス

では、実際に効くのでしょうか。僧帽筋(首から肩にかけて広がる大きな筋肉)の筋筋膜性疼痛、いわゆる頑固な肩こりに対する研究を、いくつかご紹介します。

2011年にスペインの研究グループが、僧帽筋とその下の筋肉のあいだに局所麻酔薬を注入したところ、25人の患者さんで痛みが大きく改善したと報告しました。エコーを使った筋膜間注射の初期の報告のひとつです。ただし比較対象のない研究であり、この結果だけで効果を判断することはできません。

その後、比較試験が行われるようになりました。2023年に報告されたランダム化比較試験では、生理食塩水と局所麻酔薬を混ぜた液を筋膜間に注入する方法と、薬を使わない鍼(ドライニードリング)を比べ、注入した群のほうが痛みの改善が大きかったとされています。一方で、2025年に中国から報告されたランダム化比較試験では、筋膜間への注入と従来のトリガーポイント注射(痛みの中心に局所麻酔薬を注射する方法)を比べたところ、どちらも12週間にわたって痛みと機能が改善し、両者に有意な差はありませんでした。2026年に報告された若い女性50人を対象とした前向き研究でも結論はほぼ同じで、両方とも有効であり、違いは安全性や満足度の面にとどまっていました。

日本からも、生理食塩水を用いたハイドロリリースそのものの研究が出はじめています。ただ、いずれも十数人程度を対象とした比較対象のない研究で、まだ「効きそうだ」という段階の報告です。

これらをまとめると、痛みが改善したという研究はいくつかある。ただし、以前からあるトリガーポイント注射や鍼をはっきり上回ると証明されたわけではない、というのが現時点での正直な評価だと思います。ちなみに、トリガーポイント注射やドライニードリング全体については、複数の試験をまとめた系統的レビューやメタ解析がすでにあり、一定の効果が示されています。しかし、生理食塩水による筋膜間注射、つまりハイドロリリースに限った系統的レビューやメタ解析は、私が調べた範囲ではまだ見当たりません。

まだ分かっていないこと

研究が少ないだけでなく、研究ごとのばらつきが大きいのも現状です。注入する液体は生理食塩水だけのものもあれば、局所麻酔薬やブドウ糖液を混ぜたものもあります。注入量も数ミリリットルから数十ミリリットルまでさまざまで、どの筋膜のあいだに入れるか、何回行うかも研究によって違います。追跡期間はほとんどが3か月以内で、半年後や1年後にどうなっているかを調べた質の高い研究は、ほとんど見当たりません。

どの液を、どこに、どれだけ、何回入れるのが最もよいのか。効果はどのくらい続くのか。どんな人に効きやすく、どんな人には効きにくいのか。こうした基本的な問いに、まだ確かな答えは出ていません。

肩こりで最も重要なのは診断

そしてここが、私が一番お伝えしたいところです。肩こりの原因は、筋膜だけではありません。首の骨の変形(頚椎症)、椎間板ヘルニア、首から出る神経が圧迫される神経根症、肩関節そのものの病気、姿勢やデスクワーク、運動不足、睡眠やストレス。同じ「肩こり」という訴えの裏に、まったく違う原因が隠れていることは珍しくありません。

手にしびれがある、腕に力が入りにくい、夜に痛みで目が覚める、といった症状があれば、筋膜への注射よりも先に確認すべきことがあります。そうした方に「肩こりだからハイドロリリース」と進めてしまえば、大切な診断が遅れることになりかねません。治療法が先にあって、それに症状を当てはめるのではなく、症状の原因を診断したうえで、治療法を選ぶ。この順番を間違えないことが、何より大切だと思っています。

当院でのハイドロリリースの考え方

当院では、ハイドロリリースを治療の選択肢のひとつとして行っています。診察でお話をうかがい、首や肩の動き、神経の症状の有無を確認し、必要ならレントゲンを撮り、エコーで筋膜や筋肉の状態を観察したうえで、この治療が合いそうだと判断した場合にご提案しています。お薬や物理療法、ストレッチなどで改善が乏しかった方に、実際に楽になったとおっしゃっていただくことは少なくありません。私自身、適切に使えば有用な治療だと考えています。

一方で、副作用がまったくない治療ではありません。注射部位の痛みや内出血、施術後に一時的にだるさや痛みが強まること、まれに感染や、局所麻酔薬に対するアレルギー反応が起こることがあります。血液をさらさらにするお薬を飲んでいる方は、事前にお知らせください。また、当院ではこの治療を自由診療として行っており、費用は自由診療のページに掲載しています。

万能な治療でも、根本治療でもなく、必ず効くとも言えない。それでも、適応を選べば役に立つ。私はそのように位置づけています。

まとめ

ハイドロリリースは、一定の効果を示す研究はあるものの、標準治療として確立した万能な治療ではまだありません。「肩こりは筋膜の癒着が原因で、液体で剥がせば治る」というほど、体は単純にはできていないと私は思っています。

当院では、治療法ありきではなく、まず症状の原因を診断し、そのうえでハイドロリリースを含めた適切な治療をご提案します。肩こりや首の痛みで長くお困りの方は、どうぞお気軽にご相談ください。

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※ この記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の診断・治療に代わるものではありません。ハイドロリリースは当院では自由診療(保険適用外)として行っており、効果には個人差があります。気になる症状がある方は、医療機関にご相談ください。
監修:経堂整形外科内科 院長 木村健人(整形外科専門医)
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